学校からの帰り道に、古い洋館があった。
 ツタの絡まる凝った意匠の立派な門。広い庭はよく手入れされ、いつも季節の花々が咲き乱れていた。
 その洋館の角を曲がって、僕は家への道を辿る。正面である南側の大きな通りから、東側の狭い私道へ。そちら側は車のすれ違えないような狭い道で、歩く者も少ない。当然学校指定の通学路からは外れていたが、僕の家がたまたまそこから空き地を突っ切って行くとすぐだったので、いつのまにか僕はその道を帰りに使うようになっていた。
 ――実はもうひとつ、そこを通るのには理由があった。
 洋館の東側、二階の窓。
 やはり綺麗な装飾の施された両開きの窓は、風の気持ちのいい季節にはたいてい開け放されていた。
 そしてその窓辺には、美しい少女の姿があった。

 少女は僕よりいくつか年上に見えた。窓辺で本を読むのが好きなようで、よく分厚い本のページをめくっていた。ときには窓枠に頬杖をついて、空を眺めていることもあった。たまに唇が小さく動いていて、歌を歌っているように見えた。
 彼女の黒い、長い髪が、さらさらと風に揺れるのを見るのが、僕はとても好きだった。
 現実離れした洋館の、現実離れした美少女。完成された絵画のような光景。
 それが見たいがために、僕は帰り道にその道を通っていたのだと思う。
 きっと、初恋だった。

 ある秋の日のことだった。
 いつものように帰り道を辿る僕は、洋館の角を曲がり、そっと窓を見上げた。
 少女の姿は今日もあって、僕は胸を高鳴らせる。

 けれど次の瞬間、僕の心臓は凍りついた。

 少女の背後から手が――大人の男の、大きな手が伸びてきて、少女の肩を引き寄せたのだ。男の姿は見えない、けれど彼女は背後を振り仰いで、ほほえんだ。
 その笑み。
 いまも忘れることができない。
 その瞬間、僕のなかで、彼女は「少女」ではなくなった。
 「おんな」の笑みだった。

 僕はその日から帰りに近道を使うのをやめた。
 あの洋館がとある実業家の持ち物だったと知ったのは、それから数年後のこと。

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