俺らの夏が終わった日。

 「昴……!」
 苦し紛れ、うしろに倒れながらレフトに高々と上げたトスを見上げ、昴がぐっと膝をためる。
 ――ああ、いけん!
 あいつの足がコートを離れるより前に、俺にはもうわかってしまった。トスの位置が悪すぎる。昴にもきっとわかったはずだ。スローモーションみたいな視界の中、あいつが歯を食いしばるのが見えた。
 昴は、俺らのエースは、それでも高々と跳んだ。汗が散る。何度も何度もスパイクを打って疲れ切ってるはずの昴は、それでも今日一番くらいの高さに跳んで、振りかぶった右手を、俺のトスしたボールに叩きつけた。
 ダァン――!!
 ドンピシャでついてた相手高の2枚ブロックが、昴のスパイクをシャットアウトする。ブロックフォローも間に合わないスピードで、ボールがネットの真下に叩きつけられた。
 ピィィ――。
 ホイッスルが鳴る。
 25−20。
 セットカウント3−1。
 俺たちの夏が終わった音だった。

 整列して審判に礼をして、相手高の選手と握手して、ボールや用具を片付け、更衣室で着替えて、大会会場の入り口に集合。そういういつもの流れを、どうやってこなしてたか記憶にない。気がついたら顧問が解散と言って、用具担いだ1年らを引率して歩いていくとこだった。あんまり熱血じゃないけど短くていいコメントくれる顧問なのに、さっきまでなにを言ってたのか全然記憶にない。なんか申し訳なくなりながらぼーっと見送ってると、とん、と背中を叩かれた。
「キヨ」
 斜め上を振り返る。
 昴が笑っていた。
「帰ろうや」

 昴がいつもの足取りで、すたすたと歩く。
 俺はその後ろをのろのろと追いかけた。
 距離が3メートルくらい開いたころ、昴が振り返った。
 待ってくれてるのがわかっても、俺は足を速められなかった。引きずるような足取りで前に進む。昴に近づくにつれ顔を上げてられなくなった。自分のスニーカーのつま先だけを見つめる。
 俺のコンバースが隣に追いつくまで、昴のでっかいニューバランスは動かないままだった。
「キヨ」
 昴が俺を呼ぶ。
 いつもの声。
 なんにも怒ってない声。
 それを聞いて俺の脳みそのほうが沸騰した。
「……なんで怒らんの」
「え?」
「なんで怒らんのじゃ! 俺のトスが悪かったんじゃろうが! あんなつまらんトスあげてからにって言やあええじゃろ!!」
「ちょ、キヨ、逆ギレかいや」
「おまえがキレんけぇじゃ!」
 昴の制服の胸ぐらをひっつかむ。
「ちぃたぁ怒れや! 俺らの夏、俺のせいで終わったんやぞ!」
 唾を飛ばす勢いで怒鳴ったら、昴が俺の両手をつかんで、無理矢理引きはがした。
 エースの腕力でやられて、あっけなく俺の指が昴のシャツから離れる。
「キヨのせいじゃなかろーが」
 ぎり、とつかまれたままの手がきしんだ。
 試合が終わってから初めてまともに見た気がする昴の顔が、目が、ぐらぐら煮えてることに初めて気付く。
「よう決めんかったんは、俺じゃ」
 ――ああ、こいつも怒っとった。
「キヨがせっかくトスあげてくれとったんに」
 ぐぅっと、昴の口元が歪む。
「決めれんかった。――おれ、エースじゃったのに」
 肩に、昴の額が乗った。
 ひぃっと、喉を震わせて息を吸う音。
「ごめんなぁ」
「……あほ」
 手はまだ昴につかまれたままだったので、頭をごちんと昴の頭にぶつけた。
「俺のセリフじゃーや。……すまんの」
 謝ったら、昴はまた、ひっと喉を鳴らす。
 ――ガキか、でっかい図体しよってからに。
 校門出てすぐのところで、ごつい高校男子が二人でこんなんやってて、確実にキモいと思う。
 でも、今日だけはきっと許されるだろう。
 今も体育館の中で、たくさんの夏が終わり続けている。

 俺らはありふれた高校生で、普通にバレー部やって、普通に練習して、普通にがんばって、普通に負けた。
 マンガみたいな血反吐はく特訓もやらなかったし、天才プレイヤーとかもいないし、奇跡も起きなかった。
 全国のトップに行くような奴らには、たぶんそういうマンガみたいななにかがあるんだろう。
 俺らなんか、インターハイ優勝はおろか、県代表すらまともな目標として語ったことがない、山ほどある普通のバレー部のひとつだ。
 部活だけに青春かけてられんのんじゃ、そんなことを言って街で遊んだり、学校行事を楽しんだりした。
 あの時間全部バレーに掛けていたら、今日の結果はきっと違っていたのだろう。負けて悔しいなんて、俺らに言う資格はないのかもしれない。
けど。
「悔しいのぉ……」
 俺の肩のとこで、昴が呟いたのが、すとんと胸に落ちてきた。
 キヨは考えすぎなんよと、いつも笑うやつだ。
 セッターが考えんでどうするんやバカエースと、俺はいつも言い返してたけど。
 そっか、
「……おぅ」
 俺はこっくりと頷く。
「悔しいわ」
 もう一度、ごちんと頭を昴にぶつけた。
 昴は痛い痛いと笑い泣きの声を上げる。
 俺は昴を笑うふりをして、肩を震わせた。
 ――悔しいって、俺も言うてもええんじゃ。
 昴にはかなわんわと、入学以来何度目かも忘れたフレーズを胸の内で呟いた。

 今度は同じ速度で、駅まで歩く。
 切符を買って、改札を抜けた。
 俺は上り。昴は下りで反対のホームに行くから、ここから別々だ。
 朝練ももうないから、次に会うのはたぶん、明日の放課後。
「……じゃぁの」
「おー」
 歩いてるあいだに正気に戻って気恥ずかしくなってて、なんだか昴の顔が見にくい。
 目を逸らしぎみに手を振って、階段を上ってく昴のニューバランスを眺めた。
 ほかの奴らは前の電車に乗ったらしく、同じ制服は周囲にいない。ひとりになったらやることがなくて、なんとなく携帯電話を取り出した。
 ――あー、アラーム切っとかんと。
 カンカンと耳障りな踏切の音が聞こえてくる。たしか下りのが先に来るから、これは昴の乗る奴だ。
「キヨ――!!!!!」
 いきなりの大声に俺は目を剥いた。
 ――何やりよんじゃアイツは!?
 反対のホームで、昴がぶんぶんと手を振っている。
 ただでさえでかくて目立つのに、更に目立ちまくりだ。日曜の昼すぎであまり人が居ないのがありがたい。
「ありがとぉなー! 最後、トス、あげてくれてー! 決めれんでごめんの――!」
 でっかい声のまんま、昴は続ける。
「おれ、キヨとバレーできて楽しかったで−! ホンマ、ありがとぉなぁー!!!」
 ああくそ、恥っずかしい奴……!
 ――つきあいきれるかぁや。
 俺はそっぽを向いて、手だけキヨに振る。
 ガタタン、ガタタン、下り電車が入ってきてあいつの声と姿を消して、心底ほっとした。
 ……と思ったら、電車に乗り込んだキヨがこっち側のドアにべたっと片手をついて、もう片手でさっきの続きのように手を振っている。
 俺は短い髪をぐしゃぐしゃとかきむしって、
「恥ずいんじゃ! あほが!!」
 怒鳴って、中指を立ててやった。
 それを見て、なにがおかしいんだか腹を抱えて笑い出した昴を乗せて、下り電車は去って行った。
 ……はっと気付けば、俺はさっきの昴と同じくらいかそれ以上に周囲の視線を集めていた。あまり人が居ないのが、まじで心の底からありがたいったらない。
「くっそ……明日殴る」
 いたたまれなくなって俺はホームにしゃがみ込んだ。
 ありがとう、とか。
 ――こっちのセリフじゃぁや。一方的に恥ずいこと言い捨てて逃げよってからに。

 やっぱり明日殴る、と俺は心に決める。
 踏切が上り電車の接近を知らせて、カンカンとまた鳴りだしていた。

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