雪の日はラーメンを食べに


「あっ、雪〜」
 そう、はしゃいだ声を上げて。かおるが、テラスの窓を全開にした。
 とたんに外の冷気が入り込んでくる。俺はぶるっと身を震わせてかおるに抗議した。
「おーい。寒いよ」
「だって雪よ。雪! 淳もこっちおいでよお、すごいよ」
 俺の文句なんかどこ吹く風の顔でにこにこと招かれて、けっきょく従う。
 背の低いかおるの後ろから首を突き出すと、確かにすごかった。いつの間に降りだしたんだ。牡丹雪……とまではいかないか、でも、結晶が見て取れそうなでかい粒の雪が、あとからあとから降ってくる。俺たちの狭い庭なんか、あっという間に真っ白になっちまいそうだ。
 寒いのも忘れてぼーっと見入ってると、かおるが肩の辺りにショートカットの頭を摺り寄せてきた。シャンプーの香りがほのかにする。
「ねえねえ、淳」
「ん」
「ラーメン食べにいこ」
「……あん?」
「ら・あ・め・ん」
 いや、聞き取れなかったわけじゃないんだけどな。
「さっき夕飯食べたばっかだろ」
「ラーメンは別腹なのー」
「それは甘いモン」
 突っ込んでやると、拗ねた。
「……いじわる」
 その、子供みたいに唇を尖らせる顔が可愛いんだよ……とか言うと絶対、絶対殴られるので、秘密にしておく。
 さーてと、かおるからかうのも、この辺にしておくか。あとが怖いし。
 俺はテラスの窓をからからと閉めると、ぽんとかおるの頭に手のひらを乗せる。
「財布どこだっけな」
「えっ?」
「財布。ラーメン食いに行くんだろ?」
 きょとん、と音がしそうな顔で見返して。それから、思いっきり嬉しそうにかおるが笑った。


「実はさ。賭けだったのよね」
 かおるの話題の振り方は、いつも唐突だ。
 いつものラーメン屋でねぎチャーシューふたつを挟んだところでの台詞だった。
 チャーシューを口に運びながら、俺は首を傾げるだけで先を促す。
「あの日、寒かったじゃない。だから賭けたの」
 かおるは味付け卵を嬉しそうにほおばりながら話を続けた。おいおい、モノ喰いながらしゃべんなよ。俺相手ならま、いいけどさ……。
 しかしあの日って。あの日ってさ、あれだよな。……ラーメンだし。
 賭けたって?
「雪、降るかなって思って。降りだしたらすごいじゃない、この季節。傘、なしじゃつらいじゃない。だからね」
 げ。なんだよ。ちょっと待て。マジか?
 内心で焦りはじめた俺をよそに、かおるはどっか遠いところを見てるような目で続ける。
「雪が降らなかったら、縁がなかったって諦めよう。……でも、降ったらね。降ったら……声、かけてみようって。雪、すごいですねって」

 ――雪、すごいですね。

 寒さのせいか、なんだかがちがちにこわばった顔で。
 かおるが俺にそう声をかけてきたのは、ちょうど2年前の話。
 あの日も今日みたいな、突然の雪の日だった。会社の玄関で、ぼーっと雪を眺めてたら、遅れて出てきたかおるがそう言って、右手に持った花柄の傘をちょっと開いて見せたんだ。
 ――藤井さん、傘お持ちじゃないですよね。この傘、けっこう大きいんですよ。あの……おいやじゃなかったら、駅まで、入っていきません?
 寒さのせいかかおるの頬は真っ赤だった。
 可愛いなって、……思ったんだよな、あの時も。

「あっはっはっはっはっは!」
 突然笑い出した俺を、びっくりした顔でかおるが見つめた。ま、びっくりするわな。ラーメン屋で向かいの男が爆笑し始めたら。悪いとは思ってるが……止まらない。
「マジかよ、は、はは……、あー、涙出てきた」
「な、なんなのよいきなりー。ネギ飛んだよぅ」
「わるい。なあ、俺ら、ほんとに運命的かも」
「え?」
「俺も賭けてたんだよ」
「えええ?」
「おまえがコート着てなかったらさ。寒いからラーメンでもどうって、誘うつもりだったの!」
 あの時俺は、慌ててかおるに見えないように、自分の手の中の折り畳み傘をこっそり鞄に戻した。
 花柄の傘に入ってくのはちょっと……いやかなり恥ずかしかったけどな。
 ラーメンの湯気のむこうの、かおるの顔が、幸せそうににへら〜っと崩れた。
「……そうなんだ〜。あれ、傘のお礼じゃ、なかったんだぁ」
「そうなんだよっ」
 言ってしまってから猛烈に照れくさくなる。俺は残りのラーメンをずぞぞぞと音を立ててかっこんだ。

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