Century20 CARD ONE ―魔術師のいる街―

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Opening

「One、Two……」
  残暑がもう過去の話になった、十月の空の下。
「Three!」
 喧騒に、軽やかな声が響いた。
 白いシルクのハンカチーフの陰から羽音が飛び出す。
 わっと歓声が上がった。
 くるりと頭上を一周すると、青い小鳥は差し伸べられた指先におとなしく戻る。
 ――日曜日、歩行者天国。
 再び沸いた拍手に、手品師は優雅な礼をかえした。

  突然。
  ぱっと手首が翻る。
  羽音と驚いたような鳴き声。観衆が不思議そうな顔をした。
  手品師はただほほえみを浮かべるだけ――

 真田麻里亜はふと足を止めた。
  おとなびた、端正な顔立ちに、疑問符が刻まれる。
  自分が立ち止まった理由が、すぐ後方の人だかりのざわめきのせいであることに思い至ったその時、――に。
(あおい、かぜ)
  一瞬そんな言葉が浮かんだ。
  肩にかすかな重量。麻里亜は我にかえる。……青い風の、その正体は、一羽の小鳥だ。カナリア、だろうか? すいこまれそうな鮮やかな青。
「失礼、お嬢さん」
  人込みの中から――というよりは人込みが自然によけるようなかたちで――ひとりの、人目を惹く人物が抜け出してきた。
  年の頃は十七か十八。
  首の後ろでゆるく束ねた黒髪と同じ色の上下に、芥子色のショールという恰好が不思議に似合う。色の白い優美な顔立ちは女性といった方が通りがよさそうでもある。……残念ながらバストなるものの存在は皆無だったが。
  左手の、白手袋とシルクハットに麻里亜は気付いた。ストリート・マジシャン――趣味か実益かは知らないが、このあたりでは珍しくもない人種だ。
  となるとこれも商売道具の一つかと、麻里亜は肩に乗ったままの小鳥をちらとかえりみた。その視線に気付いたのだろうか、手品師は小さな笑みをつくった。
「迷惑をおかけしてどうもすみません。こいつは俺の相棒なんだけどね、どうも貴女が気に入ったみたいだ」
  響きの良いテノールと同時に、白手袋の手が肩先に触れる。
  風もないのに何故か、背中まで伸ばした麻里亜の淡い色の髪が、わずかに揺らいだような……気が、した。
  ――あるいはそれは、右の肩の上の小さな青い羽の起こしたものであったかもしれないけれど。
「ところで、お名前を訊いても構わないかな? 青い鳥をつかまえたお嬢さん」
  ちょうど手乗り文鳥を扱うような仕草で指先に鳥を乗せ、そのままの位置で軽く膝を曲げて麻里亜と目線をあわせて、彼はそんな風な問い方をする。
  劇中の人物めいた現実味のない台詞。
  雑踏の喧騒には不似合いな。
「……まりあ」
  短いその答えさえもまるで、彼に演出されたワンシーンを構成するものであるかのように響いた。
「OK、Maria。では貴女の幸運を祝して――」
  空いた右手がひらめいて、ポンという軽い音とともに小さな花束が出現する。
  一拍置いて周囲から、歓声と拍手が贈られた。
  手渡された色とりどりの造花を困ったように見下ろして、それから麻里亜は初めてかすかに笑みを浮かべた。

 流れゆく人波を眺めて、一人の少年がいた。
  目深にかぶった野球帽の下に、日焼けした精悍な顔がのぞく。
 背が高い。百八十を超えているだろう。長い足を持て余しぎみに交差させて、ビルの壁に背を預け、退屈そうな表情をした――ごくごく普通のハイティーンだ。
 本日何度目かの盛大な欠伸を、しかし少年は途中で止めた。まばたきをして、軽く首を傾げる。組んでいた腕をはずして、野球帽をずり上げた。
 視線の先にいるのは二人。
 片方は、先刻からちらちらと様子を確認していた黒服のストリート・マジシャン。そしてもう一人は、同世代と思える背の高い少女だった。
 まりあ、と名乗る声がわずかに届いた。少女の端正な容姿によく似合う深みのあるアルトの声に、少し遅れて拍手と歓声が流れてきた。

  今日は誰かに逢いそうな気がするよ。

  出がけにそう告げた相棒は今は白いハンカチーフを手に、観客に説明を始めている。
  その視線が時折、有無を言わせずに助手役にひっぱりこんだまりあという少女に注がれていることにも、彼は気付いていた。
  あの少女、聖母と同じ名の美しい少女はいったいなになのか。
  この街で、今この時に出逢ったことがどんな意味を持つのか。
  疑問符をけれど少年は脳裏から振り払う。未来を知る必要は、自分にはないのだから。
  千里を見通して将来を占うべきは、自分ではない。
  己の役割は、「それ」が現実になったときに動くことだ。
  ――再び帽子のつばを引きおろして、彼は歩き出した。良く晴れた日曜日の空の下へ、軽快な足取りで。
  瀬能朔。それがこの少年の名前だった。

◆  ◆  ◆

 五百年の昔――。
  応仁の乱に始まる戦国の世の、闇に属する世界で名を馳せた者達がいた。
 人外の力を操り戦局の行方をも自在に動かした、無敵の傭兵団。 "高都の者" ――その呼称は常に驚嘆と畏怖をもって囁かれた。
 だが高都の栄華は長続きはしなかった。武力が意味を成さなくなる太平の世の到来――それを誰より正確に予見したのもまた、高都の里の識者達だったのだ。
 平和の時代はすなわち、高都にとっては莫大な富の源を失うのみならず、異端の能力を有する彼らの唯一の拠り所の喪失すらも意味したのである。

  そんな折だった。
  富と秘密交易による大陸文化の流入に裏付けされた高都の里の科学力が、ある物質の生成を成功させる。
  未来への不安に苛立ちを覚えていた里の者が、我先にと手を伸ばしたそれは、不老不死の妙薬――とでも言うべきものだった。
  効果はたしかに……あったのだ。
  ただし高価な代償を伴って。

  そして現在――199X年、秋。
  都会の片隅に、ひそやかに、四百の歳月を越えて生きるひとりの姿がある。
  自らを高都の長と名乗るもの。

  名を、高都匡と言った。



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