Century20 CARD ONE ―魔術師のいる街―

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ACT 8

 すっかり冷めてしまったカフェオレを、麻里亜は意味もなくスプーンでかきまわした。
  駅前の小綺麗な喫茶店。その奥の席で、向かいあわせに座った高都匡がたった今、長い物語を終えた処だった。
 ――隠れ里の異能者たち。高都の栄華と焦燥と……狂気。
 束の間の幸福と、いっそう深い孤独。
「俺の手も、血に染まっているんだよ」
 おしまいに匡がそんなことを言った。微笑んで。――まるでそれしか表情を知らぬかのように。
「四百年……」
 知らず口をついて出た、その言葉の意味する時間など麻里亜には想像ができない。
 同胞を喰らった罪を抱え、高都の名とその責を負って、対岸で流れる時間を見つめながら、どうやって彼は生きてきたのか。
「そのあいだ俺がずっと独りだったわけじゃない」 
 なんでもないことのように、匡は肩をすくめた。
 その視線を受けて、これまで沈黙を保っていた瀬能朔が口を開いた。
「俺は昭和ひとケタ生まれでさ」
「……祖父と同じくらいだ」
「まあそんなもんだ。で、戦争で死にかけて……っていうか、殆ど死んでたんだろ、あれ?」
「でなけれが俺が手を出さないよ」
 訊くほうも訊くほうなら応じるほうも応じるほうだ、と思う。会話が生々しすぎて、かえって架空のことに聴こえてしまう。
「だよな。それでそこを匡に拾われて。死なないために匡の血をもらって、それからはこいつと運命共同体ってワケ」
「血を?」
「ああ……俺たちに血を採られても吸血鬼にはならないけどね。逆に、こちらの血を与えることで同じ体質に変化するらしい。どういう仕組みか、俺も良くは判らないけど」
 淡々と説明して、高都匡は花模様のカップに手を伸ばす。その中身もやはり、とうに熱を失っているはずだった。
 麻里亜は視線を落とす。
 ――自分一人が辛いのだと思っていた。背負う重さも、長い孤独も、自分だけのものだと……それゆえにいっそう不幸だと、決めつけて。諦めてさえいた。
「何を思いつめていたのだろうな、私は……」
 かたくなに閉じこもって、そうやって自分から幸せを遠ざけていたことすら知らずに。
「まりあ?」
 独白は耳に届くほど大きくはなかったようで、瀬能朔が尋ねるように首を傾げた。
「なんでもない。……二人とも、私と約束をしてくれないだろうか」
 顔をあげ、好対照と言える二つの顔を順に見て麻里亜は言った。
「約束?」
 返答がデュエットになった。そう、と頷いて続ける。
「けして人を傷つけないと。無礼は承知だ。でも、それを言ってくれれば必ず、信じるから」
「約束しよう。必ず」
 正面から目を合わせて、匡が即答した。
「同じく」
 怖いほどに真剣な面持ちで朔もまた首肯する。
「ありがとう。……それともう一つ。この街を離れるときには、絶対にそれを私に告げること。黙っていなくなることは、許さない。そして……いつか戻ることがあったら、一番に知らせること」
 匡と、それから朔が、それぞれに目を瞠った。
 笑い出しそうになるのを抑えて、麻里亜は続きを口にする。
「たとえ何年経っていても、だ。これも、守ってもらえるだろうか?」
 真っ先に笑い声をあげたのは朔だった。店中の注目を一身に集めてしまって、慌てて口を押さえてもまだ発作的に肩を震わせる。あんまり笑いすぎて涙まで出ているのをぬぐいながらぜーはーと息を整え、それでやっとまともに喋れるようになった。
「約束する。誓います。あーもう、まりあ人悪りいよ、寿命五年縮んだ今ので」
「おまえの寿命がどうやったら縮むっていうんだ朔?」
 律義につっこむ匡のほうも、くすくすと笑みをこぼれさせている。
「幸いこの街には来たばかりだから、しばらくは発つ予定もないけれどね。その時は必ず逢いに行くよ。この名にかけて、誓いましょう」
「ありがとう」
 麻里亜も笑う。それは晴れやかな笑顔になった。

「実はあと一つ、片付けておきたい用事があるんだ」
  伝票を取って席を立ちながら匡が軽い口調で言った。
「まだなんかあるのか?」
「古い約束がね。――まりあ、案内を頼めるかな」
  喋りながらも匡はすたすたと出口へ向かう。ワンテンポ遅れて追いついたときには精算を済ませていた。如才ないというのか、つくづく場を仕切るのがうまい。
「案内を? 構わないが、どこへ――」
「真田本家、貴女のご実家へね。少々時間は遅いが、まあいいだろう」
「――――」
  麻里亜が予想外の返答に一瞬、声を失い、なにしに行くんだよと代わりに朔が問いかけた。
  匡は唇に人差し指を当てる。ウインクが嫌味に見えないのがかえっておそろしい。
「まだ内緒」
  麻里亜と朔は顔を見合わせた。朔が両手を広げてため息をつく。頷いて、麻里亜は駅へ足を向けた。

 真田本宅に三人が辿り着いたころには、中天にぽっかりと月が浮いていた。
  表門を抜け、玄関の引き戸を開けたところで麻里亜は思わず声をあげた。到着を予測していたとしか考えられないタイミングで、普段は奥の間にいるはずの祖父が姿を現したからだ。
 が、それも次の瞬間の驚きにくらべたらたいしたことではなかった。
「おお、やはり来たな、高都」
「ひさしぶり、和義」
 麻里亜と朔が揃って絶句する。
 呆然の態の孫と相棒を尻目に、二人の狸の会話は弾んだ。
「いつこの街に来た? これまで挨拶なしとは、薄情な奴め。そもそも来るのが遅いぞおまえは」
「まあいろいろね。全く、変わらないなそういう処は。老けたけどね」
「あたりまえだ。それだけ不義理をしていたのは貴様だろうが。おまえこそちっとも変わらん――と、これは言っても虚しいか」
 くっくっと真田和義が喉の奥で笑い、高都匡は返答がわりに肩をあげる。
 その隙をついてやっと麻里亜は問いを割り込ませた。
「じいさま――あの、いったい?」
「そーだ説明しろ! 匡!」
 便乗して朔が声をはりあげた。
 にやにやと人の悪い笑みを老人は浮かべる。
「昔の知人だ」
 簡潔にすぎる説明に、見兼ねたのか匡が口を挟んだ。
「朔と遭う数年前に俺がここに来てね。真田を継いだばかりの彼と知りあった」
「わしは初対面で斬りかかったぞ。まだ修行が足らんな、麻里亜」
「……はじめから、ご存知でらしたんですか……」
 脱力しないではいられない。なんだったのだ、今までのことは。
「……何故黙っておいでだったんです」
「約束があったからな」
「約束?」
「『真田が新たな当主を迎えたら、会ってやってくれ』と頼まれていてね。同じ処でつまづいているかもしれないからと。それと伝言がひとつ」
「『同じ処で』……? じいさまも?」
「さて、真実同じかは知らんが。わしも昔は若かったと、それだけのことだ。それよりまだ高都の話が終わっておらんぞ、聞け」
「あ、……はい」
「いいかな。――先代真田家当主から現当主への伝言はね、『俺も頑張る。だから、おまえも負けるな』だそうだ。……で、合ってたかな和義?」
「さてな」
「……じいさま」
 あくまでもとぼけたふりの祖父に、麻里亜は深々と頭を下げた。
「なんだ」
「ありがとう、ございました」
「礼なら高都と、そこの呆けてる男に言っておけ」
 言い捨てて老人は踵を返す。追ったものかと一瞬思案する麻里亜の隣で、地獄の底から聞こえてくるような声がした。
「きょーおー、聞いてねえぞ俺はぁー」
「それはまあ話してなかったからな」
 あっさりと返った台詞は、この場合火に油を注いでいる。
「話しとけっ! おまえはっ! もうちょっと、俺にっっ!!」
「だけど結果的にうまく行ってるだろう、全部?」
「そういう問題じゃ」
「こら、いつまで立ち話してるそこの三人。香子が食事を用意して待っとるんだ、とっとと上がらんか」
 爆発しかけた朔の勢いを見事にくじく間合いで、廊下の向こうから真田和義が声をかけた。はいっ、と慌てて麻里亜が小走りに祖父のもとへ急ぎ、じゃあお邪魔しますと匡がその後を追って、一人残された朔は拳を震わせた。
「畜生……匡の、ばっかやろう!」
 怒鳴り声が、虚しく玄関に響いた。


Ending

 そしてまた、その日曜日も快晴だった。
  黒服の美貌のマジシャンが、にわか観客を相手に次々と手品を披露し、そのたびに大きな歓声と拍手が沸く。
 バサバサバサ……。
 白鳩の代わりにシルクハットから飛び出した青い翼の小鳥が、人混みを抜け出して通行人のひとりの肩に舞い降りる。
 彼女と、その隣に立つ少年の姿を認めて、手品師は極上の微笑をその唇に浮かべた。
 白い手袋の手を差し伸べる。
「どうぞこちらへ。幸福を捕まえたおふたかた」
 いたずらを企むような光が、三人の瞳に共通して煌いている。
 澄ました顔で、マジシャンは問いかけた。
「お嬢さん、お名前は?」
「――まりあ」

Fin.



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